小言を言う奴を相手にしないという選択肢

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謙虚になるな

謙虚は美徳だと思っていたけれど、近年の私は自分を卑下しないようにと気をつけるようになりました。

「すいません」「申し訳ありません」「恐縮です」って、言うだけ言っておけば人間関係円滑に済むと言う考え方だったけれど、私の観察では、言っても相手の表情が、私の想定しているのと違うと感じてきた。

私が「すいません」と言うときは万感の思いを込めて言っていた時もあったので、それに対する反応に釣り合っていないように感じてきたの。

もちろん本当にこちらに非があるときは許す許さないは相手の決めるところだけれど、そこまでこちらに非がある時ってそうそうない上に、ひとたびへりくだりだすとどこまで行っても終わりがないと思うようになってきた。

謙虚は禁物。

特に私の場合はし過ぎに注意。

謙虚は自ら気付くことであって、他者に求めることではない。

少なくとも他者に謙虚になれと言う人は謙虚な人ではなさそうだね。

うるさく小言を言う人は相手にしない

目の前の相手の相手にしないという選択肢があるということは、大人になってやっと気づいたことだ。

育った家では常に小言を言われていたけれど、それは明らかに私のためを思ってというのではない、大人たちの都合第一の小言だった。

育てられ様が基準になっているので、他の大人、教師、親戚、仕事の上司や同僚からの小言も疑問を持たずに私は受け取ってきた。

でも、それらは大抵がどうでも良い小言だったのだ。

すんごい大発見。

私は一体いつこれに気づけたんだっけ?

とにかく今はかつてより幸せだね。

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