「イエスとエッセネ派」
2025年も引き続きナチュラルスピリット縛り読書を続けます。
で、年始からドロレス・キャノン本を読みました。
「イエスとエッセネ派」は厚さ4cmもの分厚い本。
欧米人でもなくキリスト教徒でもない私には何ら引っ掛かりのないタイトルの本。
近頃の、読書エネルギーの落ちている自分には読み切れるのかどうか脅威に思えましたが、案外読みやすく嬉しくなりました。
著者の思いが綴られている本は読みやすいのですね。
(それに対して、論文のように、正確さを重視したような著作は読みにくいですね。)
クライアントとの9か月の旅
ドロレスは催眠術を使って人々の過去世を見ていた人で、2014年にすでに亡くなっています。
「イエスとエッセネ派」という本では、とある催眠のかかりやすいクライアントと出会ったことにより、他では知り得ない情報に繋がる可能性を見いだしたドロレスの、わくわくした好奇心に触れる思いがしました。
キリストの師匠の言うには
ドロレスの前に現れた若い女性ケイティは類い稀な催眠術にかかりやすい人で、彼女の幾つもの過去世をドロレス達は調べてゆくことになります。
そのひとつの過去世にイエスキリストの先生をやっていたらしいエッセネ派の人物スディーがいて、何度かのセッションで、その人物がさまざまな年齢で現れてきます。
若い学生時代のスディーから働き盛りのスディー、年老いて旅が辛くなったスディー。
でも職務上秘密主義で結構怒りっぽい人。
ドロレスは地雷を踏まないよう苦心していて笑えます。
怒られてもめげずに質問を繰り出すドロレス。
相手のスディーも生きている時代の異なる人間によく付き合ってくれたものだなあ。
で、本筋とはあまり関係のないつぶやきの様なものも私には結構面白く思えた。
人が没後に生まれ変わるのもそんなに急がなくても良い、時間をかける方が良いと言っているところがあって、そう言われてみると私は早く生まれ変わる方が優れているかのように、根拠もなく思い込んでいたんだなあと気付いた。
また過去世を覚えている人はそうする意味があって覚えているだけであって、大抵の人は過去世を思い出せないようになっている。
それはつまらないことのように思っていたけれど、覚えていない方が幸せ、覚えていない方が生きていくのに楽だという。
覚えていると罪悪感を持ってしまうのだという。
その罪悪感って、どういうことなんだろう。
ある程度人生のシナリオが分かっている方が私には楽に思えるのだが。
もう少し自分で考えてみたい。