「大いなる恩寵に包まれて」アジャシャンティ著を読んだ

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なかなか読み終わらない

ナチュラルスピリットの本。

さほど厚くもない本なのにやたらと時間がかかりました。

78ページあたりとか156ページあたりとかからなかなかすすまない。

同じところを何度も読んでしまう。

つまらないわけではなくて、逆に自分が今求めるものがあるような気がする。

「これは?!」とときめくところでなぜかお茶を淹れなおしたりしたくなってしまい、改めて読むと同じ箇所が通り一遍の記述にしか思えなかったりする。

読書体験そのものが山登りでもしているかのようにアクティブでした。

そんな本も月が代わって程なく読み終えました。

これでやっと他のことができます。

大人は頭の中で考えていることを信じてる

序盤で大きく心に留めたのは、アジャの少年時代の気づきです。

アジャ少年は周りの大人たちの話すことをひたすら注意深く聴いていてある時大発見をしました。

それは大人たちは考えることに膨大な時間を費やしていて、頭で考えていることを信じることによって他人と衝突したり苦しんでいたりしている、それぞれによって何が真実かは異なっているということです。

それに対してアジャ少年はあれこれ考えたりせずにダイレクトに生きることを味わい、何か楽しいことをしたり、いろいろなことを聞いたり、何かに驚いたりしていました。

もしかして、生きることの息苦しさから脱するには、アジャ少年のように生きればよく、話はこれでおしまいでも良さそうです。

プロセスなしでも得られる

後半で面白かったのは、重篤な病気にかかった女性の話。

余命僅かと知った女性は、死ぬと言われた自分とは一体何者なのか、それももわからないうちはおちおち死ぬこともできない、と言って起き上がります。

だからと言って全快したわけではなく、相変わらず具合は悪いけれど、穏やかに逝くこともできない。

縁あってアジャと繋がり、アジャが5年もかけて得た悟りを、女性はプロセス抜きでみるみる得てゆきました。

過去すべてを一気に捨てることができますか?あったことすべて、今まで自分が想像したことのすべてが、今はもう存在しないと一気に見ることができますか?今の瞬間に完全に浸ることができますか?

第8章 苦しみの終焉

アジャも普通はこんなに乱暴なやり方はしないけれど、事態は緊迫していました。

女性はその時はよく分からなかったけれど、1週間後に会った時にはもう分かっていました。

誰にでも、いつだって、今しかないということ。

簡単なのになんて難しいのでしょう。

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