人生の核が欲しくて
「もっとあの世に聞いたこの世の仕組み」という本を読みました。
この本の直前に別の大作を読んでいて、「私は今後これで行こう」と思っていたのだが、今回のこの軽妙な本も中身は本質的に同じだと感じられて「こっちでも充分じゃん」と思うのでした。
ここ10年くらいに出た本は、それ以前と比べて格段に本当に目覚めている人が書いているのかもしれない。
読みやすくするために断片的なのは仕方がないが本物が混じっている。
世生子さんの本を読んだ時も思った。(奇しくもうん◯つながり)
雲黒斎本は「もっと」から読み、一作目はまだ読んでいないが、機会があったら読んでみようと思う。
カルマは罰ではなく「捻れ」
冒頭の風船の例えが分かりやすかった。
ワンネスは膨らんだ風船、人が生まれてくる時は、そこからぴょっと突起が出来る。突起は、風船とは別のもののように見える。
捻れがゆるむとワンネスとつながり、分離してはいなかったのだと分かる。
もしくは捻れが緩んで、元の風船に戻ることが死だとも言える。
この本と同じ時期に読んだもうひとつの本でも、カルマは罰ではないらしいと分かって、それだけでも気持ちが楽になった。
お金は無くならない
新しい世界ではお金が無くなっていくのかどうか、私には気になるところだった。
皇の時代の本でも「丹田パス」の話があり、人は最低でも10億円に匹敵するほどのエネルギーを持って生まれてくる、という話なのだが、そうなってくるとお金は省かれ丹田で直接認識、取引されるようになるのだろうかと。
この本でははっきりと、お金は無くならない、しかし使われ方は今までと違ってゆくとあった。
お金は残るがお金持ちでいる必要は無くなる
これまでは労働の対価としてお金を得てきたので、お金と労働、努力、能力、我慢、義務、犠牲などがしっかり結びついていた。
金額の多寡は人のストレスの証しで、使う時にも自分が費やした犠牲に見合う価値を求めた。
しかしこれからは、我慢の度合いではなく感謝の度合いとして使われるようになるという。
恐れではなく愛と感謝の印として使われるお金。多くは物物交換で足りてゆき、お金自体をそんなに溜め込まなくても安心して暮らしていけるようになるということかもしれない。
読んでいてあれっと思ったことだがそういえばお金って、誰かのものであったことってなかったんだなあと。
超訳般若心経
コント仕立ての超訳般若心経も面白かった。
これならばと身内に読ませたが、やっぱり私の薦めるものは響かないようだ。