ハズべき言い回し
「すごい片付け 9つの極意」という本を読みましたが、読んでいて突っ込みたくなってしまう点が私には多々ありました。
言葉のはたらきについて深く考えている著者であるようなのに、表現がチャラいです。
「…であるはずです。」とでも書けばよいところを、「であるハズ。」というカタカナ&体言止めが頻出。
「…なのです。」って言い切ってほしいところで「…ではないでしょうか。」と弱い。
そんな些細な言い回しが気になって仕方がありません。生意気言ってすいません。
片付かない理由は片付けたくないと思っているから
でも「片付かないのは片付けたくないと思っているからだ」というのには、詭弁のようでいて、真実を突かれたように思いました。
だって、常々感じる「片づけたいと思っているのに片付かない」とか「捨てたいのに捨てられない」とかいう状況ってまさに、自分の中にふたつの思いがあって、正反対に引き裂かれているわけだから。
片づけたいとは思っているけれど、片づけたくない気持ちも同じくらい強くあるのです。
なぜ反対の思いがあるかと言えば、そこには隠したいものがあるからだと著者は言います。
片付けはもう済んでいる
「片付け」とは「かたをつける」という意味である、というのは他でも聞くことではあります。
でも、
起きてしまった物事は、そこでもう終わっていて、すでにかたはついている。
それを「片付かない」「片づけなくては」と考えるのは、それを受け入れるべき人間の気持ちの問題だ。
といったような指摘があって、このあたりは響きました。
それが起こらなかった過去には戻れなくて、起きたことを受け入れてゆくしかないというのに、それをすぐには認められなくてその場でいつまでもじたばたしているのが片付いていない状態なのですね。
小さなことでいえば「思っていたのと違った」といった買い物の失敗とか、納得できないこともあるけれど、起きてしまったことなら受け入れて次へ行く。
過去や未来に置き去りにされている自分を今に引き戻す。
片付けるべきことが示しているのはそういうことなのかなと、本を読んで考えました。