「どうでも良い」は「こうであるべき」より幾分好ましい〜「静かに生きて考える」森博嗣著を読んだ

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相変わらずハッとする

森博嗣の近著「静かに生きて考える」を読んだ。

あいもかわらず内容はこれまで書かれてきたエッセイと同じなのだが、やはり迂闊にもはっとしてしまう。

最近の自分を振り返ってみて、どこにも出掛けなくて良いのに、なぜ私はまた、出掛けて行って人の話を聴いてきたりなどしてしまったのだろうと後悔したりした。

誰かが貶すことをやらないようにしようと考えがち

本などを読んでいると、それは森博嗣の本に限らないことだが、つい、それにのっとったことをしようと考えてしまう自分がいる。

今回の森博嗣の本では「現代の人は他者にレポートできるような場所に出かけていかなければならないし、食事をする前に写真を撮らなければならないしで忙しい」とちょろっと書いてあるのだが、

私はそれを見て「SNSのネタ探しで生きているってみっともないことなんだな、以後こういうことはしないようにしよう」とかすぐ考えてしまう。

自動的にそういうモードになってしまうのだ。

自動的に、ひっそりと、絶対誰からも難癖をつけられない人間であらねばと思うようになっているかのようだ。

それをまた森博嗣は、「皮肉ではない、批判ではない、揶揄しているのではない」と毎度断りを入れているのもまたおもしろいのだが。

もっともっと自分になる

森博嗣に言われなくても自分にはとうにわかっていることなのだ。

森博嗣も、また最近で言えば吉本ばななも服部みれいも並木良和も小山内洋子もプリミ恥部も秋山佳胤も、みんなみんな同じことを言っている。

人に聞くまでもない、自分の中に、もしくは自然の中に答えはあるということなのだよな。

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