今日から1月場所
夕方になるとどこからか相撲中継が聞こえててくるというのは、平和な昭和な風景のひとつのように思う。
私の幼少期はうちのテレビで大相撲がついていることはなかったが、同居人と同居して以来、欠かさず見られる風景だ。
「相撲を見ていると一年が早い」とは同居人の言い草で、これまで何度も何度も聞かされてきたが、最近では私にとってもカレンダーというかリマインダーというか、ものごとの締め日や切り替えのタイミングに利用するようになってきた。
2か月毎に15日間
大相撲の本場所は年に6回、奇数月に、日本各地を巡回するように開催される。
日曜日にスタートして毎日続き、3回目の日曜日が千秋楽となりその場所が終了する。
この2か月毎というターム、15日間というタームが、いろいろとちょうど良いのだ。
大相撲が近くなると、今度の場所の注目力士についてのリポートなども始まり、相撲ファンの気持ちを盛り上げていくが、私も「大相撲が始まる頃にはこの仕事が片付いていると良いな」とか思う。
15日間というのも新たに一仕事やれそうなまとまった期間でなかなか良い。
日曜日が3つも入っているのもおまけ感があって楽しい。
その年最後の本場所も12月ではなく11月で早々と終わるのも良い。
12月にゆとりを持てる感じがする。
15日間の過ごし方
15日間の場所が始まると、力士は連日一試合ずつこなす。
上手くいっても、ダメであっても、15日続ける。
時々怪我で休む力士もいる。
せっかくの活躍の機会だが、動けないのでは仕方がない。
中継はもちろん生放送なのだが、取り組みと解説のおしゃべりで破綻なく淡々と進む。
場所中はどの力士にインタビューしても大抵は「一日一番」「優秀とか昇格のことは考えていません」などと同じようなことしか言わないので、力士の見分けがつかない。無理にインタビューする必要があるのかどうかいつも疑問に思う。
なかなか勝負がつかなかったり、物言いがついて審議が長引いたり、取り直しで再度の取り組みが発生したりもするが、夕方6時までにはちゃんと全て片付いている。
「苦難を乗り越えての今」「家族の支えがあっての今」という物語も語られはするが、駅伝やラグビー中継ほどの絶叫はない。
次の場所がまたある、今場所もまだ何日残っているという、点ではない線の落ち着きが見られる。
国技は言い過ぎ
私は断じて相撲ファンではないと思っている。
角界の不祥事が度々あるのに、相撲ばかりが平気で欠かさずテレビ中継が続けられているのはどうかと思う。
特に「国技館」という名称は即刻変えてもらいたい。
法的根拠のある「国技」なんてものはないのに、皇室に時々相撲好きの人がいたりすることもあって、相撲が日本で他のスポーツより上の特別な競技であるかのように、施設名だけで錯覚させてきた。
テニスだってスケートだって、施設名に「有明国技コート」「神宮外苑国技リンク」と勝手に名称をつけてしまうようなものだ。
力士の名前も顔もわからない
私は力士の名前も顔もわからないし、あえて覚えないようにしているくらいだ。
テレビも自分ではつけない。
でもその時期、その時間になると聞こえてきてしまうので、耳に入ってくるので、自分なりに折り合いをつけて利用しているまでだ。