やることやったらさっさと帰る
並木氏は今度は死後のことをいま見てきたように語ります。
彼の場合は今世での臨死体験はないものの、過去世をいくつも思い出していて、その一つに死の一連のプロセスを鮮明に記憶しているものがあるので説明できるそうです。
死の探求方法は、臨死体験だけではないんですね~。
書名に「死」の文字があるので、やはりびびってしまいますが、死とは恐ろしいものでも忌み嫌うべきものでもなくて、隣の部屋に移動するようなものだと説かれています。
理想的生活が待っている
この本によれば、死は忌み嫌うべきものや恐ろしいものではなく、誰もが寿命を自分で決めてきているので、その時が来たら帰ってゆくだけ。
この世でやると決めていることがまだ終わっていないというような場合、数年は延長できるらしいのが融通が利いて面白い。
でも再度の延長はできなくて、ずるずるといつまでいても仕方が無くて、やることやったらこの世はさっさと立ち去ってよくて、長生きしたほうが得とか早死にしたら損とか、そういうことではないようです。
死んだその先に何があるのか?
そう、やはり死んだらそれで終わりではないらしいのです。
願ったことがすぐに実現する世界で、好きなことをして暮らしていくのですから、やっぱりそれは天国ですね。
しかも結婚制度がなく、それぞれは独身生活をして、子育てや親の介護もなく、それでいて波長の合う人たちと集って過ごしているみたいで、とても理想的な世界だと思いました。
さっさとあの世に行く練習をしておかなくては
長生きはとりあえずするものだと思っていましたが、単に110歳を目指しても仕方がない。
生きてるうちに、できる範囲で、やれることをやっていればそれで良いのかも。
そして、肉体を脱いだ後に意識の使い方というのも、急に神々しい自分になるのではなくて、結構、今の日常生活での自分がそのまま出るのでは?と思えました。
例えば私は、細かいことでいろいろと迷うことが多い。
しかも、一度決めたことも「やっぱり、、、」と言ってひっくり返したりする。
そういうのは、案外、よくないのではないかと感じます。
私の課題ですね。
閻魔様の言い伝えとも矛盾しない?
死後はえんまさまの裁きを受けるんじゃなかったっけ?と思っていたら、なんと、それとも矛盾していなくてびっくり。
人類の意識レベルが低かった昔は幽界しかなかったけれど、今は意識レベルが上がってきて霊界もあるのだとか。
その二つの世界の様子は、すなわちこれまで地獄と天国といわれてきたものそのものです。
いろいろ納得してしまいました。