面倒くさくなってなんでも捨てたくなる
いろいろな厄介ごとに対して、それが無ければどうなる?それ無しでもよいのでは?と考えてきた、少々乱暴な私です。
実際にすぐにそれを実行することはあまりないのでおとなしいものですが、でももしかしてそれが本当は正しかったかもね、と思うこの頃です。
ものを少し減らしたほうが良い、ものは少なくても生きてゆける、ということに多くの人が気づき始めた今は、時代が良い方向に向かい始めたあかしだと思います。
捨てることはネガティブにとらえらてきたが
「捨てる」という言葉は結構強い言葉なので抵抗にあいやすく、「片づける」とか「整理整頓する」とかいう言葉にまずは置き換えて考えたくなります。
でもやましたひでこの本「新・生き方術 俯瞰力 続・断捨離」(2011年刊)には、「すてる」には「捨」だけでなく、「棄」の字もあり、意味の違いがあると説明されていました。
捨てる:仏教用語で「喜捨」という言葉があるのは、「捨」が「ほどこし」の意味を持つことから。自分の元で活かすことができないものを、別の場所で生き返らせるという意味になる。
棄てる:対して「棄」は、「廃棄処分」のように、打ち棄てるイメージ。
「捨てる」は言葉としてはソフトな方で、もっときつい「棄てる」よりはましな言葉のようですね。
「捨てる」のがより穏やかで建設的な行為であるともいえるとしたら、私たちはもっと自信をもって「捨てる」ことをしてもよいですね。
「片付く」状態にするには、ものの絶対量が少なくなければできない
パズルのようにうまい具合に収めてゆく収納術がもてはやされたこともありましたが、
さらに昔の片付け本の中には、「何でも布をかぶせれば片付きますよ」と説くびっくり本もありました。
いずれにしろ、ものが多すぎるということはうすうす認識されていたわけです。
でも誰も、なかなか、「だから捨てろ」とは言えない時代の空気がありました。
断捨離提唱者のやましたひでこも、「捨てるしかない」とわかっているのに、「捨てろ」とはっきり言わず、「捨てるかどうかを決めるのはあなたです」という言い方をしていました。
やはりインパクトが大きかったのが、2000年に刊行された、辰巳渚の「捨てる!技術」からという気がします。
この本は片付けセオリーが確立されているわけではなく、一種のエッセイ本ではありますが、公然と「捨てるしかない」と言い放つことは、それまで誰もできなかったのです。
分かりにくかった初期のやましたひでこ
2009年にやましたひでこの「新・片づけ術『断捨離』」が出版されました。
「断捨離」という言葉が流布して、「何やらすごそうだ」という雰囲気を醸し出していましたが、初期に何冊か出たやましたひでこ本を読んでも、私には今一つ分かりにくく感じられました。
やましたひでこの文章が「であるのは道理。」「であるならば。」のような体言止めが多いというのもわかりにくさを助長していると思います。(この文章の末尾は自分で考えよ、とでも言われている感じです。)
「やましたひでこはセミナーを主宰しているから、核心的なことはセミナーに参加しないと結局はわからないのかも」と当時の私は思っていました。
今思えば、はっきり「捨てなさい」と書かれていなかったことがもどかしかったのではないかと思います。
つまり、私は誰かに、「今すぐそれを捨てなさい」「捨てて良いのだ」と言ってもらいたかったということですね。
最近になって、やましたひでこ本がその後もわんさか出ていることを知り、特にたまたまみつけた「1日1か所捨てる!ワークブック」(2017年刊)は単純で良かった。
Q&Aのページで、うだうだとぶれる相談者に、「あなたねえ、~しすぎですよ」みたいな姉御肌の口調がつい出ていて面白かったです。
まあ、著者やましたひでこにしてみれば、「ここまで人に言ってもらわないと片づけられないのか」と出版業界や読者に対してもしかしたらあきれているのかもしれませんが。
それにしても辰巳渚本もやましたひでこ本も、タイトルには「捨てる!」と、「!」が付いています。本当に、捨てるってことは厄介なことです。
捨てることは、必要で大事なことだった
壊れてもう使えないようなものであれば捨てやすい(それでもときには捨てにくいことがあるが)。
しかしまだまだ充分使えるものや、まだ使い始めてもいない未使用未開封の新品も、時には捨てないことには生活に支障をきたすことがある。
私たちはそんな経済活動の中に生きているのです。
問題は、捨てることがネガティブなことだとされてきたこと、片づけることが誰でもできて当たり前のとるに足りないことだとされてきたことではないでしょうか?
「片付けなさい」と親や先生は言うので、子どもや生徒はなんとなく片付けをしますが、親も子供も、私たちは片づけることや捨てることが思っていた以上に大事なことだったということが良くわかっていなかったのです。
「片づけること」と、その前提となる「捨てること」は、人生の必須科目の一つにしてもおかしくないくらいの重要なことだったのですね。
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