いつの間にかシリーズ化?
名前だけ知っていたけれどよく知らなかったシリーズ、今回は大貫妙子氏です。
大貫妙子という歌手の名前はずっと知っていたけれど、どんな歌声なのかすらいまだによくわからない。
大貫妙子を認識したのは2017年のテレビ東京の「youは何しに日本へ」であるという情けなさです。(昨年秋にも再放送していましたね)
外国人男性が日本の70年代の音楽に興味を持ち、レコードを探しに来日した話。
ふらっと入った都内のレコード店で聞いてみたら、店頭にはなかったけれどたまたま大量に入荷したレコードがあるという。バックヤードに入れてもらって探していたらお目当てのまさにそれを見つけてしまったという感動のお話。
その反響で、アルバム「SUNSHOWER」は再々プレスされたというからすごい。
実はずっと第一線
大貫妙子は意外にも地に足をつけた暮らしを貫いていたのであった。
1973年にバンド「シュガーベイブ」結成(私の分かるひとでいえば山下達郎もそのメンバーだった)、1976年からソロとなるが、2005年ころまでの30年ほど、ずっと音楽をやり続けて、ほぼ毎年アルバムを出し、コンサートツアーをしていた。
坂本龍一とも仕事を通して旧知の仲。
2006年にレコード会社との契約は一旦終了して、2007年からはフリーで単発契約をすることに。
したくない仕事はなるべくしない方針。
この本では2006年から2013年の8年間での暮らしを季節の移り変わりとともにごとにゆったりと執筆。
震災前から日本の食料自給率の低さを憂いて秋田でコメ作りをしていたり、震災の翌年には同居していた両親を相次いで亡くしたり。
2013年には還暦を迎えた。ということは昨年で70歳?
歌手としてのキャリアは50年にもなった。
葉山と札幌
住まいについては、バブル期に葉山に家を建てて、両親だけ先に住んでいたが、大貫妙子は都内で部屋を借りたりして、すぐにはなじめないでいた。
18年も経って大貫妙子も葉山に合流。面白い。
結婚のけの字も出てこない。経済的不安のふの字もない。
両親没後は広すぎる家を持て余しているみたいでその辺は普通の人。
故人の衣類は早々に処分できたが、日記などの残されたものの処分は難しいという。
そこから逃げるように札幌に部屋を借りて、月の三分の一くらいを過ごす。
行ったり来たりとか、多拠点が、あまり気にならない人なんだな。
天然住宅バンクとかペレットストーブのさいかい産業とか、この本で知って興味を持ちました。