読み返したことがないモーニングページ
最近スカッとしたのが、1冊書いたばかりのモーニングページを、数日置いて捨てたこと。
もともと、他で使いかけだったノートで再開したモーニングページだったのであり合わせ感がいっぱいで、書いている時からもやもやして、字も乱れていました。
そんな雑なノートなので、捨てるのに惜しむ気持ちも少なく、さっさと捨てることができてたいへん気持ちが良かったです。
私のモーニングページの歴史は古いが
ジュリア・キャメロンの「ずっとやりたかったことを、やりなさい」という本が出たのが2001年ですが、私はその数年後くらいに読んで、「創造性を育てる12週間のワーク」にせっせと取り組んだりしていました。
モーニングページも最初は嬉々として取り組んでいてずっと続けるつもりでいましたが、「正しいやり方」にこだわってしまって、次第に書かなくなりました。
それは期待するような「正しい効果」が出ていないから、だったのかもしれません。
すでに自己流でモーニングページをしていた
2018年ころになってSNSで「モーニングページを続けて夢に近づけた」と発信している人の投稿をたまたま見たりして、またモーニングページのことを思い出してやってみるのですが、なんだかしっくりこない。
というのも、メモ魔な私は毎朝晩、何かメモらずにはいられない質なので、すでにモーニングページ的なものをやっていたので、よく考えたらダブっていたのですね。
「正しいやり方」にこだわってしまい迷いが生じた
本の中では、モーニングページはA4サイズのノートで3ページくらい書くように説明されていますが、日本のB5の大学ノートサイズでも3ページって結構な分量で、メモ魔の私でも30分~1時間程度では埋め尽くせません。
最近になって、どうやらジュリア・キャメロンが使っているようなノートは、A4サイズと言っても文字はかなり大きく書かれるものらしいということが分かり、日本で出回っているノートで換算すると、B5サイズやA5サイズで、罫線狭めであれば1ページで同等サイズになるらしいとわかって、やっと納得できました。
そして改めて、つまらないことにこだわっていた自分に気付きました。
書いた後をどうするか
書くことはすでにやってきていた自分。
いま注目すべきは、書き終えたノートをどうするか、ということでした。
ジュリア・キャメロン自身は、過去のモーニングページを延々ととっておいて読み返すようでしたが、この点も自分は別の意見を持っていたのだと気づきました。
「書き終えたら読み返さずに捨てても良い」って書いてあってほしくて、そしてその通りにきっちりやりたかったという自分のわがままがあったのです。
本の通りであってもなくても、本は参考程度にして、自分の好きなようにやればよいのに。
そして実際のところは自分の好きなようにやっていたのにそれに気付けず、「すべきようにやっていない」という観念だけがのこって自分を窮屈にしていた。
どうでも良いことなのになんて複雑にしているんでしょう!!