何をするかよりどうやるか、どうあるかだと?
最近はっと気づいたことは、何をするかよりどうあるかが肝心だということ。
でもこれ、誰かがこう言う度に私はムッとしていた。
「違いがわかりにくいよ!」と。
で、過去に違いが分かりにくいと感じた事例のことはもう覚えていないが、自分が最近実感したことについて、この言葉をつかって考えてみたい。
葛藤というテーマ
葛藤は、私にとって結構大きなテーマだったと、ごく最近やっと気づいた。
そもそも、ものを捨てるときに私は葛藤する。
自分は結構ものを捨てる方だと思ってきたけれど、そうでもないなと思うことも多々ある。
また食事は少しにしたいと思っているはずだが、おいしいものを少しだけ、でいるつもりが、食べすぎて翌日までお腹が苦しいということも多々ある。
食べたくないけど食べたいで葛藤している。
あと、賃貸か持ち家かでもずっと葛藤している。
葛藤して使ったお金の効果は半分
最近、ちょっと大きなお金を自分のために使った。
それは純粋に自分の興味のためであったが、一方でそれを自分にしつこく言い聞かせている自分もいるのであった。
「これは意味あるお金の使い方だよね」
「これは自分を喜ばせる、自分の興味のあることだよね」
という、その言い聞かせ状態自体がアウトなのである。
葛藤をねじ伏せようとしているのだ。
お金を使わない方が勝ち
薄々そうではないかと思うのだが、もしかしてお金を使わない方が、自分の人生では勝ちなのではないだろうか?
これって、実は堂々と言えないことだけれど。
お金は使ってこそ、流れさせることが大事、っていうのがスピリチュアル的優等生の答えだけれど。
でも葛藤してるなら、その時はまだ使わず温存させている方が良いような気がする。
とは言え、「使うぞ、進むぞ」のエネルギーがいったん発生してしまったら、人は引き摺られてしまう。
だから規模を小さくしてでもそのエネルギーを流してしまう方が賢いのかもしれないが。