幼少時の森博嗣の様子もうかがえる自伝的小説
登場人物の名前は実際とは違うようですが、概ね実際の出来事をトレースした森博嗣の自伝的小説です。
一見エッセイのような語り口ですが、叙述の視点が第三者的なだけでなく、父の視点、母の視点、息子の視点とあちこち変ってゆく点で、実験的な小説なのでしょう。
森博嗣は、自身が比較的若いうちに両親を亡くしました。
47歳の時には73歳の母を亡くし、その3年後には83歳の父を亡くしています。
森博嗣は病院や老人ホームへは足繫く通ったようですが、長期にわたった介護をすることもなく、最後はあっさりと見送ることができました。
マキシマリストの母
森博嗣の母はちょっと面白い人でした。
家に入ってきたあらゆるものを決して捨てないマキシマリストで、輪ゴムでさえもサイズ別に保管していたほど。
金品も入れ子状に凝りに凝って隠すので、しまいには隠した本人にも分からなくなり、そうなるともう誰も分からない。
彼女の没後は一家総出の宝探しが長期にわたって行われ、へそくりは総額350万円くらいになりました。
彼女が病気になったのも独特でした。
病気を心配するあまり検査を欠かさず、願いを叶えたかのように病気になって何度も入院して、ついに弱って亡くなりました。
本人は思うところがあったようですが、ちょっと芝居がかっているような生き方です。
淡々と生きる父
森博嗣の父はもともと頭脳明晰で無口なたちでした。
工務店を起こしてそれなりに繁盛していたのに、息子が跡を継ぎそうもないと分かるとやる気がなくなり、事業を段階的にたたんでゆきます。
7歳下の妻に先立たれたのは想定外で調子が狂ったのか、生活が雑になり、ぎっくり腰になったのをきっかけに老人ホームに入ることにします。
喫煙家なのに部屋で喫煙できない老人ホームを「ここで良いや」とさっさと自分で決めますが、のちのち隠れて吸って煙草を取り上げられて後悔するはめになります。
ただ部屋で一人で過ごせればよいだけなのに、お菓子の封を切るハサミも危ないからといって、部屋では使わせてもらえないような老人ホームでの暮らし。
父の目はだんだんとどんよりしてゆきます。
親に邪魔されない人生
子どもが老いた親の面倒を見たるのは人間だけがすることで、自然界にいる動物はそんなことはしない、つまりそれは不自然なことだと森博嗣は言います。
森博嗣も、また彼の親も、子供に面倒を見てもらいたくない、自分の始末は自分でつけたい、という価値観を持ち、またそれを実践できた人生でした。
親がなくなったときには、葬式は親戚がいたために執り行いましたが、戒名無し、墓無しという簡単なもの。
子ども時代を過ごした実家も、まちなかの便利な場所にありましたが、ガラクタがいっぱい詰まっていて最後はどうにもならず、更地にして売却しました。
親の家を物理的にも無くして相田家は消滅し、森博嗣はすっきり身軽になったのです。
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