意識してしまっては魅力半減
肌のきれいな人が「特別なスキンケアはしていません」というのに似ている。
この場合、肌のきれいな人は、肌のきれいさを見せつけてから、人に聞かれて初めて「なにもしていません」というが、本業ミニマリストは自分から「私、肌がきれいでしょ(私ミニマリストなの)」と発信しているように見える。
鈍感が魅力の根源
これはまた、恋愛マンガにおいて、好かれていることにいつまでたっても気付かない魅力的な主人公にも似ている。
どんなに魅力的であっても、そのことに自認してしまってはあざといだけである。
どこまでも鈍感であることこそが人を(無駄に)ひきつけるポイントなのである。
ミニマリストの指南書など手に取ることなく、おのずとものを持たない人がいるし、あるいはある時突然捨てだす状況が訪れただけのことである。
それをはたから見た人が「あなたはミニマリストですね」とまとめるだけ。
ミニマリスト自認が恥ずかしい
よく「ミニマリストの持ち物」「ミニマリストのクローゼット」「ミニマリストが買ったもの」などのワードを見かけることがあるが、これはミニマリスト100人とかに聞いた統計的なものではなく、その人たったひとりの個人的事情なだけである。
この点に、私はずっと違和感があった。
自分のことをさっちゃんと呼ぶさちこちゃんみたいだと思った。
「大人の持ち物」「女性のクローゼット」「日本人が買ったもの」というのと同じくらい漠然としているのではないだろうか。
あ、でもよく「男の隠れ家」とかは使われているなあ。
発掘するのが楽しい
だから私は、「わたしこそミニマリストです」という人より「よくよく聞いてみるとミニマリストだった」という人を見つけるのが楽しいのだ。
小説などを読んでいてもあらすじそっちのけで、「ものをあまり持っていない人」という設定だけが好きなのだ。
これまでなんとなくやってきたことではあったけれど、このちょっとひねくれたニッチなところが自分にとってとても意味のあることだったと分かってきた。
勝手にミニマリスト
個人のライフスタイルが広く発信され出したことで、これまで取るに足らないとみなされていた家事、片付け、掃除がものすごい技術と思想に関わるものだったということを多くの人が気づき始めた。
これはすごいことだよね。マイナスがプラスになったのだから。
ミニマリスト的ライフスタイルもこの流れの一端を大いに担っていて、そのメリットを、多くの人に広めるというのは意義あることだと思う。
しかし翻って私は、ミニマリスト的にライフスタイルのメリットは感じながらも、それを伝えてわかってもらうまではそれほどの大義を持っていない。
人のお世話をして差し上げたいとはあまり思っていない。
そのことにちょっとしたコンプレックスもあった(とはいえさほど気にしていたわけでもない)が、もうそういうものも捨てていこうと思う。
つまり今よりも自信を持つということね。
あえて言えば私は「勝手にミニマリスト」だ。
わかる方だけにわかる部分だけ伝わればそれで良い。
どこが伝わるかも私がすべてコントロールしようとしなくて良いのだ。
ですので、今後も、自他ともに「実はミニマリスト」な点を拾ってゆくつもりです。