すみやかに使命を全うする新聞
新聞を取るのなんてやめろやめろと同居人に言っている私ですが、新聞が作られて、読まれて、捨てられるというサイクルは、物質が人間の暮らしの中を巡るサイクルとしては理想的なものだと思います。
その日の情報を得る
新聞は普通はモノとして買い求めるのではなく、情報を買っているので、読んだらもう用がなくなるところが良いですね。
また、一般紙は特に、すべてのページを理解・咀嚼しようとしなくても、サーッと目を通せばそれでよいものなのです。
その日のことはその日で終わり、また翌日には同じくらいの量の新聞が届きます。
包装紙、机や床のカバー、給水シートとしても使える
新聞紙の紙としての性質を生かして、荷物の詰め物にしたり、ごみを包んだり、汚水を拭きとったり、工作や塗装などをする時に机や床に敷き詰めたりといった、二次利用にも新聞は重宝なものです。
惜しげなく使えるところが良いですね。
災害時にも役に立つかと思って、1か月分のストックはうちでも残すようにしています。
英字新聞で英語学習
昔、翻訳の仕事をしている人のインタビューを読んだとき、数々の学習方法の中に「英字新聞を隅から隅まで読む」というのがありました。
隅から隅までじっくり読むので毎日届けてもらう程でもなくて、たいしてお金もかからず賢いやり方だと思いました。
この場合は、1部を捨てるまでに時間はかかりますが、しっかり元を取れる感じですね。
切り抜きにすると捨てにくくなる
かつての私は、新聞を読むとよく切り抜きをして情報をストックしていたものでした。
この切り抜きというものが、大変扱いに困るものです。
目的があいまいだから捨てにくい
たとえば本でも買うためにその広告を切り抜いたのなら、本を買ってくればそれで用が済みます。
でも私の場合は「近い将来役に立ちそう」というあいまいな目的のためについ切り抜いてしまう、という感じでした。
サイズがばらばらでまとめにくい&探しにくい
新聞のレイアウトは切り抜くとわざとのように不格好になります。
切り抜きなのでサイズも形もばらばらです。
これをスクラップブックに貼っていくのはさすがに無意味に感じたので、なんとなく袋に入れてとっておきますが、捨て時が分かりません。
定期的に見直すほどの理由がなく、何となく見返しては少し捨てたりしますが、また何となくとっておいてしまいます。
切り抜きをとっておく意味はあるのか?
切り抜きをするというアクションがあることで記憶に残ります。
また、うんざりしつつも時々見返すことで、「そういえばこんなことがあった」と記憶を新たにしたり、ネタになったりということもあります。
少し寝かせて見返したら、もうそれで捨てても良いかもしれません。
その時ほやほや>少し寝かせる>新鮮によみがえる>うんざりする>時代が付く>うんざりする
どこかのタイミングで、結局は捨て、ですね。
捨てやすいことは大きなメリット
お金を使うなら、新聞のようなシステムを持つものにお金を使うようにしたらよいのではないかな、と最近思います。
それを買う目的がはっきりしているもの(いつ捨てるかがはっきり分かるもの)
何のためにそれを買うのか、買う前に今一度確認したいですね。
最初の状況が変わってそれが不要になったら、手放すのがシンプルです。
でもついつい、他のことに転用すれば「もったいなくない」と考えてしまいますね。
そのモノのぴったりした第2の人生が見つかればよいですが、モノありきで無理やり使おうとしていたら、使いやすいかどうか、必要かどうかは改めて考えた方が良いですね。
捨てやすいもの、あとが残らないもの
捨てるときに出来るだけすぐ捨てられるように、不燃ごみや粗大ごみになるようなものはできるだけ避けたいですね。
資源ごみ>可燃ごみ>不燃ごみ>粗大ごみ
あるいは
可燃ごみ>資源ごみ>不燃ごみ>粗大ごみ
かどうか、迷うところです。
燃やせる素材で作られているものでも大きさで粗大ごみになるものもあるので、注意したいです。
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