何も食べないと自由
不食の本を読んでいたのですが、まるで並木良和本を読んでいるかのように感じました。
「食べない人たち」のなかの特に秋山佳胤氏の章。
並木良和氏とまったく同じ内容を、同じように確信を持って力強く畳み掛けてきます。
食べないでも生きていられる、ということについて問うているのですが、そのように意識を変える、新しい意識で生きる、ということはスピリチュアルに通ずる、というか、まるっきりスピリチュアルです。
これはもちろんどちらかが他方の真似をしているのではなく、違うルートを辿っても同じ頂上に辿り着く登山のようなものです。
同じことを同じ人が言い方を変えて言うのとはまた違った力強さが、あります。
食べても食べなくても良い
並木良和氏も、食事については趣味で食べればという提案をしている。
森博嗣氏も工作の間にお菓子のような軽いものをつまんでいる旨、よく記述がある。
食事より大事なものを持っている。
断食と不食
断食も不食も、ともに食べないことは同じなのに、断食は短期間に限る修行で、不食はいつまででも続けられる楽しいことだというのが不思議ではある。
意識を変えるだけで、食べないでいられないことが食べなくても済むことになってしまう不思議。
人によっては食べないほうがむしろ体調が良くなるという場合もある。
でも、もしも不食を目指すなら、すぐにそうなろうと焦らないほうが良いようだ。
あと、食事が無いとものすごく暇になるらしいということだ。
人は暇だから食べるという面があるのだ。
実は過去に不食を試したこともあった
すっかり忘れていましたが、ジャムスヒーン氏や山田鷹夫氏の本を読んで私は過去に不食を真剣に考えたこともあったのでした。
食費が一切かからない暮らしって、自由で良いよねと思った。
食べないと、毎月の食費、今後の食費も一切かからなくてお金の不安がなくなる。
食器も食器洗いの手間も不要、生ごみも出ない。
定期的に買い物に行かなくても良い。新鮮なうちに食べ切らなくてはという気掛かりもなくなる。
食事は食べたら無くなってしまうから、また用意しないといけないのが私には負担だった。
私の感覚では、一回調理したら2~3日はしなくても持つくらいのペースであってほしいの。
でも私にはやりにくかったな。
家族がいたから、ってこれ人にせいにしているかな。
現在は1~2年前から粗食、少食路線でいこうとしているところですが、今後時間をかけてゆるく不食方面に向かってみても良いかも。
ふと気付けば、今はかなり自由に、自分の好きなものを好きな時間に食べています。