勘の良い人で居続ける〜それが私の新たな捨てる動機

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望むことが見当たらない

最近の自分はひとことで言えば満ち足りています。

今日も天気が良くて、気温が上がる昼ごろだけちょっと近所を散歩して、お土産にパンなど選んで、うちに帰ってお茶を淹れておやつにするという、もうこんなことでとてつもなく幸せ。

なりたい自分とか、やってみたいこととか、前はいくらでも湧いてきていたのに、いまは今後のおおまかな方向がまだ見えてこない。

願ったと同時に叶っている

ちっちゃい望みは、「そうか、これが私の望んでいたことだったのか」と、気付いた時は叶っている時ということもしばしば。

あと、何か欲しいなら買うとか、どこかへ行きたいなら行くとか、逆から見れば自分で行動を起こせばあっさり叶うようなことしか望んでいない。

「小さくまとまっていてはダメ、自分から掛け離れたことを目指す向上心が大事なんだ」とかも、もう思わない。

なりたかったのは勘の良い人

強いて言えば、勘の良い人って良いな、とずっと思っていたかも。

自分に必要なことが手続きなしにピンと来ればシンプルだ。

でも勘の良さは生まれつきで、訓練や心掛け次第で身につくものではないと、と思っていた。

憧れが強過ぎて望むことすらしてこなかったということ。

でもいまなら、望む特質を持つ自分へあっさり置き換えることができるんじゃないかという、私の他ならぬ勘のようなものがある。

どうやって?とやり方を人に聞くのもこれからの時代は無意味なことかも。

ハリーポッターがどうやって使うのかわからない魔法を、とにかくやってみるという方法で身につけたように、私もただやってみる、というだけのことなんじゃないか?

だから捨てる

というわけで、因果関係があるのかないのか、説明するのは私には難しいが、関わる物事を減らしておけば、残った物事に目が行き届いて、結果、自分に必要なことは瞬時に気付けるようになっていくのではないかと思っています。

「勘の良い人になりたい!」と渇望すると遠ざけてしまいそうだからそうせずに、捨てるという行動をしたその先におまけとして勘の冴えた自分になっている、それはあり得なくはない、という作戦です。

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