目次
たちまちの2か月
この間の買い物の失敗がまだかなり痛い。
しかしながら、すでにもうゴミとして捨ててしまった。
届いた時の梱包も厳重だったし、フリマアプリのアカウントもまだあるのだからさっさと売れば良いと思ったりもするのだがからだが動かず。
ではごみとして早く捨てようと思うのだが、すぐに手が止まってしまう。
そんなことを繰り返しつつ、一か月が過ぎてしまった。
しかし、2か月は越さないうちに捨てていた。
本体も梱包材もすっかり捨てた。
すっきりもしたけど、やっと終わったという感じだ。
「やった〜!」ではなく「やっと終わった」と思えたのだからすなわち森博嗣的に言って実は成功したということなのだ。
成功は劇的じゃなくてよい…「やったね!」ではなく「やっと終わった」を狙う
成功した時の本当の実感とは? ひとは知らないうちにいろいろな幻想に囚われていたりしますが、もしかして「望みがかなった時」や「成功した時」に、「やった~」と叫ぶ…
新しいものが身につかない
いつからか気付いているのだが、これと思って手に入れたものを、使い倒さないうちに捨てる羽目に私はしばしば陥っている。
もったいながって使い込まないまま、手に取らなくなって持て余すようになっている。
なんとなく、時期がずれているようにも感じる。
ものすごく欲しかったのは確かだけれど、手元に来るのは熱が引いた頃。
物フェチなのでたいていのものは大事に仕舞い込む。
でもどうしようかなあと思い始めると外に出して埃がかぶるままにしていたりする。
でも紙ものでもなければなかなか古びない。
紙ものであってもちっとも朽ちてくれない。
捨てようと思ってから本当に手元から無くなるまでに途方もない時間をかけているのだ。
まだしっかり元を取ろうとしているのだな。
ものを買うときには、無限の時間をこれと過ごすイメージを持ってしまうが、案外早く終わりの時が来るものだ。
リンク