捨てることこそが自分へのご褒美

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囚われているな~

自分の持ち物なら自分の判断でいつでも自由に捨てればよいはずなのに、さっさと手放せない凝り固まった自分がいます。

なまじ、捨てることを何年も考え、実践もしてきているから始末が悪い。

同じガラクタでも「聖域」のようなものがあって、片づける時間が十分ない時は(それはたいていいつもだが)その入り口で立ち止まって引き返してきてしまう。

見てもいない古新聞なら捨てやすいが、切り抜きなんてしてしまうと何年もとっておいてしまう。

「これについては捨てるかどうか前も考えた」というものが私の周りにはいっぱいあって、取り出してはまた元に戻してしまって捨ててない。

そんないつも同じパターンを繰り返す自分が歯がゆい。

「これ捨てても良いよ」と自分に言ってあげられると嬉しい

しかし、もしかして捨てることが自分へのご褒美だとしたら?

、、、ちょっと考えてみたら自分のこころが天までも駆け上るように感じました!

こどもの頃に何かを猛烈にほしがっていたものをついに与えられた時のように、いまはものを捨ててもよいのだという設定を仮にしてみただけで、心が躍ります。

つまり、私は捨てることをしたいのだ

そうか、捨てるってことは、今の私にとってこんなにもうれしいことなのか。

話題のカフェでお茶するとかよりもだんぜんうれしいご褒美。

頑張った自分へのご褒美に、靴やバッグを買う時みたいに、ご褒美として私はこれを捨てて、あれも捨てる。

ご褒美というと、何か成し遂げた後に与えられるもののようにも思うけれど、これは条件は何もなく毎日もらえるご褒美。

心のベーシックインカム。

「今日も天気が良いね~、じゃあ捨てて良いよ~」みたいに。

自分にわくわくする、うれしい体験を与えることは、それはどこかへ出かけたり、お金を使って何かを買ったりするほかにも、今うちにあるものを捨てることでもできることなのだと気づきました。

それに、どうしてもお金を使いたいなら、捨てることにもお金はかかりますしね。

もっと「積極的に」捨ててゆきましょう!

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