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なんにでもマニュアルがあると思い込まされている
何をするにも要領の良いやり方、得するやり方、スマートなやり方がどこかにあるんじゃないかと考えてしまう、現代に生きる私たち。
モノを捨てるだけのことにも、そんな「正解」を求めてしまう。
モノを捨てたって良いのだと教えてもらえなかった、って誰かに不満をぶつけたくなるような思いがするけれど、
過去はそうではなかった、でも今そうなった。
気付いた今から変わればよいのでは?自分ひとりでだけでも。
かっこ悪くても良い、失敗しても良い
捨てることって、いつでもできる、自分ひとりで出来る。
家族そろって同じようにやらなくても良い。家族にわからせなくても良い。
意外と時間がかかる。
結構な時間をかけたのに全然成果が見えない。
たとえ突発的に「全部要らない」と思っても、現実には一切合切、一度には捨てられない。
回収日までのタイムラグもあるし、細かく分別しなくてはいけないという問題もある。
いっぺんにきれいにしようとしなくてよい。
多くの人が気づき始めている
今は、モノを持ちすぎる弊害に多くの人が気付き始めている、とても良い時代だと思う。
それでも、捨てることや片づけることは、まだ義務教育の必修科目になっていない。
必修科目になるのが良いことなのかどうか、実のところよく分からない。
ただ、捨てることや片づけることが、「報酬を得る仕事と同様に朝一番にやるべきこと」「誰もが常に考えるべき大事なこと」という認識が広まればよいと思う。
捨てるセオリーってあるのかもしれないけれど、個人的な試行錯誤、継ぎはぎの技的な部分も大事だと思う。
要領が悪くても、自分なりにやれたら一番良いと思う。
モノと、感情と、理論が絡み合う特殊な分野だ。捨てるってことは。
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