溜めた「情報」よりも、捨てるというリアルな「体験」に価値を感じた

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半分でも捨ててみる

PCの上に、A4のコピー用紙の束があるのですが、今日いったん、半分捨てました。

メモには日付も入れるようにしているのですが、去年の日付や、今年2月くらいの日付もありましたね。

読み込んでいくと何かの役に立ちそうだからと、ずっと置いたままにしていましたが、最近紙が増えていない、減ってもいない。全く顧みなくなっていました。

「全捨て」しても良いくらいの内容なのですがまだためらいがあって「半捨て」です。

情報よりも価値のあるもの

これまで捨てることを躊躇していたのは、考えをまとめたり、調べたデータを生かそうという気持ちがあったからなのですが、そうした「情報(自分のアイデアやデータも含む)」や「メディア(紙類という物質)」よりも、溜まっていた紙の束を捨てたという「体験」が、机上のものではない、リアルなものだな、と感じました。

いまの、私だけの体感、という意味で、捨てたという作業がリアルなのです。

これって、何ものにも代えがたい価値があるのでは?もしかして。

目に見えるメモ用紙に書き付けた「情報」というものと、それを捨ててどんな感じがしたかという「経験」を、どっちが上かを比べることができちゃった、という点で画期的な、私的な出来事でした。

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