苦々しく思っていたが
うちのマンションは良く出入りがあって、その度にいくつもの粗大ごみや大量の段ボールが出されているのを目にします。
ごみのラベルを見ると、呆れるくらい先の回収日なこともよくあります。
マンションを出ていくひとが、回収を見届けることもなく、出しっぱなしで引越していくのです。
かと思えば、転入があったばかりなのに、直後に大量の粗大ごみが出されています。
こちらは律儀に粗大ごみごと引越しされたようです。
かつて私はそれを他山の石として、「普段から捨てておかないから一度に大量にごみを出す羽目になるのだ」「我が家も似たようなものだけれど、自分のものは自分の裁量で捨てられるのだから、なるべく普段から捨てておこう」と思っていました。
リアルの力
でも引越しを想定して物を捨てていたときと、実際に引越しが決まったことによって物を捨てているときとでは、捨ての推進力に雲泥の差がありました。
「本当に」引越すことになったら、「こんな重いもの、嵩張るものを持っていきたくない!」とリアルに胸に迫ってきます。
目が覚める思いです。
ということは「引越すつもり」で捨てていたときは、まだ本気じゃなかったのだということなのです。
本気になったら「まだいける」のです。
引越しをよりリアルに想定して人生をリセット
引越しをすることで、強制的にモノをかなり手放すことができるものだなあと改めて思います。
さんざん捨ててきたつもりでも、引越しとなったら「これを持っていかないといけないのか」「こんなに重いものをまたひとつ多く運ぶのか」と、これまで普通に部屋に置いていたものがまた違った風に見えてきます。
しかも、本当の引越しだと締め切りがあります。
最初のうちは吟味して捨てつつ荷造りしていても、あまり日が迫ってくるともう、考えるゆとりはなく、何でも段ボールに突っ込んで、とりあえず新居に運ぶしかありません。
引越しまであと一カ月しかないとなったら、私はほとんどもう、冷静ではいられません。
ただ段ボールに突っ込んでいくだけでも、案外時間はかかります。
ああ、そんな目には合いたくないなあ。
堂々巡りですが、またそんな風に思って、今日の自分には何が大事か、常に問うようにしているのです。